いただきます理論
おーいお茶より十六茶。
皆さんどうもこんにちは。
最近嵐さんの良さに気づいたおくけんです。
嵐って魅力的で、それぞれの個性が本当に素敵で惹かれるんです。
それはまさにすき焼きそのもの。どれをとってもおいしいんですよね。
そんなすき焼きを食べたくなる季節になってたところですが、、、
ちょっと待った。
あなたは食事の前に手を合わせて何か言いますよね。
学校の給食でも声を合わせて言ってましたね。
そう、呪文のようなあの言葉。「居たら来まます」
(って誰が来んねーーーーん。ってツッコんでくださいね)
冗談はさておき、「いただきます」
僕の解釈では、
食の材料や生産者、その他の携わってくださった人や物に感謝する。
こんな感じです。
ところがどっこい、手を合わせて声を出す。そこに感謝の思いはあるのでしょうか。
(できている人はもちろんいると思いますが、、)
手を合わせて声を出すという行為。ありがとうという心もち。
どうしてもこれらが別々になっちまうんだなー。
どちらが大事かというと圧倒的に後者だと思うんです。
感謝の気持ちはない。それなのに手を合わせて声を出す。
これって無駄だと感じるんです。
それならありがとうと思う。それだけでいい。そのほうがまし。
~本当の意味を忘れて、見た目だけで満足する~
僕はこれを
【いただきます理論】
こう名付けました。
(もう一回言わせて。【いただきます理論】。気に入ってるんです。)
これって、いろいろな場面であると思うんですね。
例えば部活での罰走。
試合に負けたらその罰で走る。
これって意味あるのか?
必要なのはなぜ負けたのかを考えることじゃないのか?
(結局言われるがままに走る憶病な人間なんですがね)
本当に必要なことを無視して、走るということに満足する。
これじゃまた同じことの繰り返し。
そう、これが噂の【いただきます理論】。
(もう一回言いたいところですが、皆さんの耳にタコができますね。それはかわいそうなので控えます。【いただきます理論】。)
身の回りの無駄をなくして効率的に生きていきたいですね。
皆さんも心の断捨離始めませんか?
身の回りの【いただきます理論】
見つけたら是非教えてくださいね。
最後までご愛読いただきありがとうございます。
たくさんのコメントお待ちしております。